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2011年 10月 16日 ( 1 )

2011年 10月 16日
表現者スペシャル「戦後保守の意味を問う」[桜H23/10/15]
久々にチャンネル桜で勉強になる討論があったので動画を貼っておきます。









ハイデッカーやニーチェも話に出てきて、読まないといけませんね(汗)
自分も勉強がまだまだ足りませんので時間があれば読んでいかなければと思います。
実存主義哲学の勉強が必要なのか・・・(笑)

自分がここ最近考えていた問題を今回議論で話し合われたのですごく勉強になりました。
物事を判断する基準とは一体どこから来るのかと言う事です。
自分は判断する基準とは己の経験や、己の所属する共同体、つまり国家や民族の伝統や歴史に基づく
常識や道徳から来るものだと考えていました。

遠からずあたっていたのですが、その常識や道徳が今の日本は崩壊してしまって判断基準が無くなってしまい漂流している精神状態が今の日本人の精神構造ではないか?と言う事です。

とりあえず議論内容は濃密なものですので、詳しく知りたい方は繰り返し見て、自分で考える事という作業をやってみる事です。
ただ議論の内容を見てそれを異口同音に話すだけの議論は単なる情報収集にすぎません。
だからいつもの討論の方が一般人受けするのは何も考えなくてもいいからなのです。
こういう議論が、議論の本質であり、冷やかしコメントを書いてる連中は自分で物事を考えられないのでしょう。
表現者の議論は見ている視聴者もこの議論を通じて物事を深く考え自分達もこの議論に対しての批評や思索を開陳して、
自分で物事を思索するという脱大衆化の作業なのです。
自分で物事を考えないで知識人からの発言を情報として吸収し、鵜呑みにするだけならそれは単なる大衆(マス)にすぎず、保守思想とはかけ離れた存在だという事です。
自分はこういう感じでこの議論を捉えていますが、戦後保守にはこういう事が理解できないという事なんだと思います。
開口一番、西部先生の言った日本に保守は無かったという事の意味を保守派と自称している人間は考えてみるべきです。

何も考えないでマスメディアの言う事を鵜呑みにしている日本人は単なる大衆にすぎない衆愚だという事。今の日本は衆愚政治にすぎないという事です。

by windmark-sakura | 2011-10-16 09:56 | 思想・哲学・文化評論 | Trackback | Comments(0)